Music Magazine , September - 2011 [Book]
久しぶりに、本当に数年ぶりにミュージックマガジン(2011年9月号)を買った。
表紙と特集が達っさんだってのもあるんだけど、ぱらぱらと立ち読みしてたんだ。
そしたら、同誌の名物コラム『とうようズトーク』に目が止った。
え?うそ・・・
79歳での自死という、どうしようもなくショッキングなニュースを知った数日後に本屋で読んだMM(先月号)の『とうようズ・トーク』が、中村とうよう(本名:中村東洋)氏の最後の原稿なのだと・・・少なくとも僕はそう思っていた。
表紙を飾るKPOPアイドルのイラストと特集記事に「この雑誌もずいぶん変ったのな」といった違和感を少なからず覚えながら、結局8月号は買わずに立ち読みだけで済ませた。
ミュージックマガジン(以下MM)の創刊者であり初代編集長の中村とうよう氏は、今年の7月21日に自ら命を絶たれた。自宅マンションから身を投げたのだ。
(おそらく本当に)これが最後になる9月号の『とうようズ・トーク』は、自死のその日に届くようにMM編集部宛に投函された悲しい内容のものだった。いや、これはどうも後味が悪いと云った方がしっくりくるかもしれない。人はひとたびそれを『決意』してしまうと、こうもさらりと書けてしまうものなのか。嗚呼、そんなに儚いものなのか・・・と。
それが良いことなのか悪いことなのか、もっと他にも訳が有るのではないのか・・・いやよそう、歳を重ねるということ、老いてゆくということ、その果てに待ち受けるもの、まだ中途半端な場所に佇む僕にはどうにも分からないし考える余裕もない。氏は孤独の中で「その日」を自分自身で決め、自らが興した音楽雑誌に認(したた)めた。その事実だけが、氏が記してきた膨大な量の活字の最後の一頁となって、読者の手許に残された。
氏は『人生は楽しかった』と振り返り『もう思い残すことはありません』と書く。そして『ときどき思い出してください』と読者に書き残している。人生の幕引きの時、多くの音楽ファンに様々な影響を与えてきた「自身の仕事」につけたのは、10点満点だったのだろうか。
好き・嫌い・共感・反発・・・そんな全てを越えて、日本の音楽ファンが忘れてはならない音楽評論家。
やすらかに。
「ミュージック・マガジン」誌の「クロス・レヴュー」にて、Michael Jacksonの『Thriller』に0点を叩きつけたのは有名。
中村とうよう氏が10点と0点をつけたアルバムから一曲ずつ。
◆10点 NUDE MAN/サザンオールスターズ
◆ 0点 ファイナル・カット/ピンク・フロイド
汎音楽論集/高柳昌行 [Book]
図書館で鎮座していらしたので借りて帰って読んでみた。
ジャズギタリストであり、日本のフリー・インプロビゼーションの権威でもある高柳昌行(~1991)の生前の文業を年代順にまとめたもので、その名も『汎音楽論集』
漆黒に文字だけという重々しいカバーからして『一筋縄ではいかない感』が漂ってるし、タイトルからも軽く読んで良い娯楽書の類ではないってのは一目でわかる。装丁のとおり内容は重く、僕は読むのに根気を要した。
SJ誌やジャズ批評、ジャズライフをはじめとした国内の音楽雑誌へのコラムとインタビュー、ディスクレビューなどが年代順に読める編集となっている。
終始にわたって、音楽を生業とする者(ミュージシャン)としての厳しい姿勢を貫き、聴く者(リスナー)も同レベルでそれに対峙しなければならないと説く。一貫してぶれのない文章には一介の素人が反論できる余地など皆無と言って良い。コラムは年代を追うごとに(特に商業音楽に対して)批判精神の塊と化し、綺麗とは言い難い形容を用いながら辛辣さ(良く言えば歯に衣を着せぬだが)を増してゆく。数多のジャズマンや評論家(マスコミ)だけでなく、我々リスナーにも容赦なく向けられたコトバの刃が突き刺さってくるようで、正直、ついて行けない箇所も少なくなかった(ディスクレビューは面白かったけど)。
これはおそらく…いや、絶対に僕のような器の小さなユルい音楽好きが手にしてはいけない書物のひとつなんだと思ったな。『高柳は自ら見出した音のなか、音で生きたのではなく、音に生きた。』・・・・道子夫人によるあとがきにもあるとおり、恐るべき”音楽表現”への執念だ。
クラシカルのごとく居丈高に権威の衣をまとい、古色蒼然たる甲冑に身を固めながら、古城に彷徨う亡霊さながら、近代建築のホールを巡り、コンテンポラリーとなると真新しい装いで時間の流れに乗りつぎ、見せかけの巧みな技を以ってその「音楽」と信じ込んだものを極めようとするもの。又、反面、旧ジャズやソウルのごとく前者と全く無縁な所で、地を這う生活の中に呪詛の如く発生したもの、フォークやロック、はたまたニュー・ウェイヴとやらただ惰眠を貧る痴呆のたわ言をそのまま羅列したものに一定のリズムをつけたに過ぎぬもの(セリエルもその一種か)等々。分類して見るまでもないが、これらが各々取巻きを組織し、仲間褒めに終始する、その上、なおこの各形態を商品化し、その利を得ようとする人種が「業者」であり、群なして煽り立てるのがマスコミとジャーナリスト、とりわけ「音楽評判家」という化物である。(抜粋)
本書の目線では、僕はまだまだ聴衆として赤子同然に未熟で低次元なようだ。しかしながら、ジャズの名の下で即興の極みを目指し、到達するとこうなるのかと思うと、それはそれで少し恐ろしい気もする。万人を励まし笑顔で満たし、時には飢えや天災に苦しむ人々に、世界中の幾許かの良心を届けることが出来るsong・・・それらをも否定することが誰に出来ようか。僕には出来ない。。
一切の所謂エンターテイメント性を排除した音こそが『芸術』であるのなら、僕は音楽が大嫌いになっていたに違いない。
もしも僕の中で『音楽は音学ではなく音楽でしかない』という考えが変わる日が来たなら、本書に再挑戦するかもしれないが・・・でもおそらくそんな日は来ないだろうな。
そして僕は思う、果たしてこれが音楽なのだろうかと・・・・残念ながら、まだ僕にはわからない。
たかが音楽されど音楽・・・・たぶん僕には、そのくらいが丁度良い。
逆光/日野皓正 [Book]
若いプレイヤーや音大の学生にも、こう言ってる。
「お前ら、敵を作れよ。八方美人になるなよ。ほとんどが敵でもいいんだから」って。
自分が真心をこめた音楽を一所懸命やっていれば、いずれは強い味方がひとり現れる。
敵が何千人いても、平気に思えちゃうくらいの強い味方。自分の人生を変えるような人だ。
今年7月の発売以来ずっと気になっていた、ジャズトランペッター日野皓正の自叙伝『逆光』を読んだ。
思えばジャズやらフュージョンを聴き始めた頃、サックスのナベサダの次に日本のジャズミュージシャンとして名前を覚えたのがトランペットのヒノテルだった。まぁ世代的にはアルバム『シティ・コネクション』とか『デイドリーム』、あと『ピラミッド』あたりですかね僕は。その頃のアルバムは(ファンの間の評価は別として)フュージョンの作品として好きなので、今でも思い出したように聴いてるんだけど、なんといってもトランペット(コルネット)を構えるスリムな身体と帽子と口髭、そして聴き手を威圧するような鋭い視線がガキの目から見ても凄くカッコよかった。
そんな日野皓正も今年でもう66歳かぁ・・・と思いつつ本を開いた。
本は200頁に足りない程度でボリューム的にも多すぎず貧弱過ぎずてちょうど良い厚み(笑)。活字も、毎日の目の酷使で老眼気味の僕にも小さ過ぎず(笑)、数頁ごとに若くトンガってた頃やすっかり貫禄のついた最新のフォトが挿入されているのもいい。
戦後まもない少年時代のご両親や祖母上とのエピソードから始まり、プロになってからのヒノテルブーム、海外の大物ジャズマンと渡り合ったニューヨークでの暮らしと差別、奥様との出会い、そして最愛の弟”トコ”(ドラマー日野元彦)との別れだけでなく、自身の音楽観や楽器のこと、若いミュージシャンの日野流育成法などなど・・・それらが『くだけた口語体』で書かれていて、今の日本のジャズや世界平和を大真面目に、時に若いころの武勇伝や聴衆の摑み方をユーモアたっぷりに語る著者日野皓正の講演でも聞いているかのよう。実に読みやすくて止まらなくなる。そして日野皓正の真っ直ぐな人生観が、ジャズ(仕事)に対する愛情が、これからの日本のジャズを背負うであろう若者への熱い思いが…全くの畑ちがいではあるが、日々仕事をすることで報酬を受け取り暮らしている僕の心に染みるように伝わってきた。
アルバム『寂光』で前衛的ともいえる芸術世界に踏み込み『僕はこのアルバムで、65歳にしてやっと、60代の自分のスタイルを確立したと思えた』と語り、『いつまでたっても本当にヘタクソだなって思うけど、だからこそ、自分を高める努力を惜しみたくない。生きてる限りはね。』と、本は締めくくられている。
いや~、一気に読んでしまった。面白かった!つーか、ちょっと感動した。
ミュージシャンに限ったことではない話がたっぷりの本書、働く男は一度読んでおいて損はないと思う。
最後になりましたが、本書をブログで紹介して下さったsou-unさんのブログ「テンションノート・ジャズ・ブログ」に、感謝申し上げます。
80年代フュージョン全盛時代のアルバム『DAYDREAM』より。
S.ガッド、A.ジャクソンの重戦車のようなリズム、D.リーブマンのテナーソロが強烈!
石井彰(pf)とのデュオで完成させた
映画『透光の樹』より、メインテーマ『Ember』
サントラですが、好きな作品です
ピンク・フロイドの神秘 (The Inside Story of PINK FLOYD) [Book]
今回は本の紹介です。
マーク・ブレイク/著、西沢有里/訳、伊藤英嗣/企画・監修による、偉大なるロックバンド『ピンク・フロイド』のドキュメント本の後編。もちろん前期中期も好きだけど、ロジャー脱退後のフロイドもこよなく愛する僕としては、前編をすっとばしてこちらを先に読んじゃいました(笑)
アルバム『狂気』での大成功の後、巨万の富を得たメンバーを襲った倦怠感と無力感…
当時のメンバー4人(R・ウォーターズ、D・ギルモア、R・ライト、N・メイスン)を主要な登場人物とし、アルバム『炎』から『アニマルズ』の製作中から既にあったメンバー間の深い確執や、独裁者となったロジャーの脱退劇、ロジャー抜きでのバンドの再生……『どんだけ仲悪いねん』とつっこみたくなる程の、いざこざに次ぐいざこざを経てLIVE-8での再結成に至る経緯などが、筆者と本人たちのコメントだけでなく、メンバーを取り巻くミュージシャン、音楽関係者、そして記者や女性たちのリアルな証言を素に物語り風に綴られている。デビューして間もなく精神が壊れてしまい、故郷に隠居しながらもメンバーの心にあり続けたシド・バレットのその後をも、時にたどりながら。
ピンク・フロイドが創り出した音楽の影響力や素晴らしさ、売上の記録やツアーの規模の巨大さ、サウンドの分析や歌詞の解釈、または著者がフロイドを如何に愛しリスペクトしているかといった類の書籍は沢山出ているが、これはちょいとひと味違う。
ピンク・フロイドという、この孤高のロックバンドを巡ってどろどろと渦巻いたエゴと意地、バンドに対する愛憎、それ故のメンバーの脆弱で情けない人間臭さなんかも出し惜しみすることなく書かれているという意味で、非常に貴重だと思う。
これははっきり言って面白かったです。多くのファンが知ってる有名な話から、レコーディングやツアー、そしてアルバムアートに纏わる裏話や聞いたこともない驚きの逸話あり、想像を遥かに超えた(メンバー間の)辛辣な言葉の応酬ありで、かつてフロイドを追いかけた人は必読のドキュメンタリーですぜ。故郷の自宅前で撮影された、年老いたシド・バレットの写真が泣かせます・・・・
ちなみに前編は『ピンク・フロイドの狂気』というタイトルで、シド・バレットがカバーを飾っている。こちらもいつかは読んでみたいね。