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Tokyo Debut/Art Pepper [JAZZ]

僕がジャズを聴いているのはもちろん好きだからだが、幾多のジャズの作品の中で、ヒューマンな部分で感動させられるアルバムって、実はそうそう無いと思っている。

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アート・ペッパーがはじめて日本の地を踏んだのは1977年。カル・シェイダーというアメリカのラテンミュージシャンのグループの一員(ゲスト扱い)としてやって来た。
日本で絶大な人気を誇るアート・ペッパーほどのジャズマンが、何故にゲスト扱いなのか。なぜ軽いノリのラテンバンドに『紛れ込む』必要があったのか。理由は言うまでもない……クスリだ。
偉大なミュージシャンであったが麻薬常習者としても有名だった彼は、来日直前まで入国許可が下りることすら危ぶまれていた。つまりバンマスとしての大々的なプロモーションを打てない。他のバンドのゲストとして招き、入国するまで発表しないという潰しのきく策が必要だったのではないか。
白人アルトの天才といわれ若くして輝かしい演奏を残す一方で、身も心も麻薬に溺れ堕ちていったアート・ペッパーは、その人生の中で10年以上もの間、監獄と更生施設で過ごしている。
それに同情の余地はない。いくらインスピレーションを追求するミュージシャンだからといって、ヤク中を美化してはいけないし、麻薬は麻薬。それが悪魔に魂を売る愚かな行為であることに変わりは無い。
しかし、その悪魔と手を切ることが如何に壮絶な闘いであったのかは、自伝『ストレートライフ』に綴られている。

僕はのろのろとマイクに向って歩き始めた。
僕の姿が見えるや、客席から拍手と歓声がわき上がった。
マイクに行き着くまでの間に、拍手は一段と高まっていた。
僕はマイクの前に立ち尽くした。お辞儀をし拍手のおさまるのを待った。
少なくとも5分間はそのまま立っていたと思う。
何ともいえない素晴らしい思いに浸っていた…

「STRAIGHT LIFE」より


麻薬を克服し、アート・ペッパーは復帰した。日本の音楽ファンは彼を温かく迎えた。異国での自身の人気を知らなかったペッパーは、思いもよらかかった日本のファンからの熱狂的な歓迎に立ち尽くすしかなかった。晩年の彼を支え続けた妻のローリーは、鳴り止むことのない喝采に感極まり子供のように泣いてしまったという。

僕の期待は裏切られなかったのだ。
日本は僕を裏切らなかった。本当に僕は受け入れられたのだ。
やっと報われたのだろうか。そうかもしれない。
たとえ何であったにしろ、その瞬間、今までの、過去の苦しみがすべて報われたのだ。
生きていて良かった、と僕は思った

「STRAIGHT LIFE」より



『ファースト・ライブ・イン・ジャパン』と題されたこのライブアルバムでアートペッパーは、地に降り頻る雨のような喝采にずぶぬれになりばがら、それを拭おうともせずに高速フレーズで突っ走っているかのようだ。若いカル・シェイダー・グループの面々が懸命にテクニックを駆使して追走するも止められない。熱気ほとばしり、時に例のフリーキーな音で『今を包み隠さず』吹き綴るソロは、聴衆の前で演奏する喜びに溢れていながらも軽くない。目指す高みが違うのだ。切々と音を紡ぎだすバラードには深みがあり、万感の思いが秘められているとしか思えない。

初来日が急遽の発表であったため、1977年4月5日の郵便貯金ホールの客の入りは実際のところ悪かったそうだ。しかし満員だったのかと錯覚するような聴衆の喝采を聴くと、アートペッパーが日本でいかに愛されていたかが判るし、それに懸命に応えるアートのソロに言い難い程の感動を覚える。それはジャズとしての演奏の良し悪しを超えた次元なのかも知れない。
本作品の出だしには、このライブの司会者のナレーションとアルバムの主であるアート・ペッパーによる聴衆への挨拶が2分24秒の独立したトラックとして記録されている。なんとも感動的なオープニングだ。この編集は素晴らしいグッドジョブだと思う。ただの浪花節だといえばそうかも知れないが、胸が熱くなってしまうのだから仕方がない。

大きなブランクを隔てて評価の分かれるアート・ペッパー。それはいつも遠い過去に置き去りにしてきた輝きを基準にして語られる。
このライブアルバムからは、辛く苦しい闘いの果てに彼が捨ててきたもの、そしてこの遠き日本の地で新たに手に入れた"Something Else"を聴いて取れるような気がするのだ。

ベストトラック
2.Cherokee
5.Straight Life
7.Manha de Carnaval



おまけです・・・アート・ペッパーの登場に大喝采の一曲(?)




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kasumi

アルトの詩人といわれたほど
アルトサックスの美しい響き・・・
彼のCDは数枚ほどしか持っていません。
想像できないほどの波乱な人生だったんですね。
by kasumi (2009-07-04 13:14) 

空兵ーS

アート・ペッパーの凍えた心に
日本のファンの拍手が暖かかったのでしょうね。
本国では認められなかったり、差別に苦しみ
酒場で芸人としてしか処せられなかった黒人ジャズ・ミュージシャンが
ヨーロッパでは芸術家として遇されてホールで演奏
そのままヨーロッパに居着いたのと似たような構図なのでしょうか。
1977年、郵便貯金ホール
私は聞きに行くことが出来たはずですが、
たぶん、復帰後のペッパーの姿がショックで
行かなかったのだと思います。
by 空兵ーS (2009-07-04 20:31) 

ayumu

Straight Life、本人のよろこびが伝わってくるような曲ですねー。
by ayumu (2009-07-05 16:45) 

mwainfo

残念ながら海外にいて聴けませんでした。ペッパーに対する思いはそのとおりですね。日本でも、あの天才ギタリスト、高柳昌行氏が麻薬で破滅したと聞きます。ナベサダが、ワン フォー ジョジョを彼に捧げました。
by mwainfo (2009-07-06 22:00) 

なちゃ

kasumiさん、ありがとうございます。
若きペッパーは演奏も美しかったですが、いかにも美男子って感じのクールな風貌も、その後は変わってしまいましたね。
自伝にはかなり濃い内容であれこれと書かれています。

by なちゃ (2009-07-07 12:34) 

なちゃ

空兵ーSさん、ありがとうございます。
日本のファンの歓迎は、本当にペッパーにとって砂漠の中のオアシスだったのでしょうね。
僕もペッパーは、もっぱら若い頃のを聴いてましたが、日本と深い縁があったということを知り、後期のペッパーをちょくちょく聴くようになりました。
by なちゃ (2009-07-07 12:34) 

なちゃ

ayumuさん、ありがとうございます。
いい演奏です。聴衆から見えない力を得たのでしょうか・・・・

by なちゃ (2009-07-07 12:35) 

なちゃ

mwainfoさん、ありがとうございます。
麻薬や病魔によって短命に終わったジャズマンが多い中、
復帰を果たし他国とはいえ温かく迎えられたペッパーはまだ幸せな人生だったのかもしれません。
高柳昌行さんの著書があるようで、いつか手にしてみたいです。。。

by なちゃ (2009-07-07 12:36) 

なちゃ

初めてniceが30を超えました。
数に拘ってはいませんが、やはり嬉しいものです。
皆様、本当にありがとうございます。
by なちゃ (2009-07-07 12:39) 

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